死んだ方が早い

人生が着々と詰みつつある

一日中パソコンをやっている

「何か生産的なことをしなければ」という焦りばかりがあり、

実際には何も手につかない

 

 

 

私はある種の依存症、不安障害なのだろう

真っ当に生きたければ克服しなければならない

しかし現実はどうだ

 

例えばアルコール依存症の治療の場合

「治せるやつだけ治す。治ったら御の字。そうじゃなければ知らない」

というのが現状だ

つまりプロフェッショナルでも必ず治せる訳でもなく

治せなかったケースの方がずっと多い

しかも実際には多くの患者が医療に繋がれない

無知、貧困、無理解、孤独など理由は様々だ

「まず医療に繋がれるか」という狭き確率の関門を潜り抜けた先に

「治るかどうか」のもうひとつの確率の関門が待っている

 

つまり、アルコール依存症は罹ったら最後、十中八九の不治の病のとも言えるわけだ

 

これは他の依存症、物質使用障害、気分障害、不安障害などにも共通して言えることだ

私の現状を、そのような不治の病に言い換えたらどうだろうか

 

「〇〇ちゃんを救う会」みたいなのを見たことはあるだろう

例えば心臓の弁に血管があるだの先天性の臓器障害があるだのと

高額な医療ケアがなければ明日も知れない子供たちを募金で救おうという試みだ

だが彼らを救えるだけの金を別の使い方に回せば、世の中をより幸福にできる

 

貧困な家庭に生まれたが身体が健康な子供に教育や福祉のケアを施したり

単純に命を救うことが重要だというのであれば、

臓器移植一回より遥かに安価な栄養剤だのワクチンだのをアフリカだかサブいぼだかの子供に届けたりだとか

功利主義的には「〇〇ちゃんを救う会」は大間違いだ

残酷だが、死ぬのが効率的なのだ

不良品を無理に修理して使いまわすぐらいなら、とっと買い替えた方がオトクなのだ

 

私はどうだ?

私も見方によれば不治の病に罹ったカワイソーな人間だ

救済するには自身の努力も含めて多大なコストが必要だ

だがそのコストに見合う命なのか私は?

死ねば効率的だ

回収の見込みの無い無暗なコストを支払わずに済む

死こそ効率的だ

しかし死ぬのはこわい

だが「生きていたい」など私個人のエゴでしかない

生き物一匹飼うのに「エゴ」だけで済まされるような豊かな世の中じゃない

人間一匹を飼うための「お値段」は高く付く

 

私はコストに見合うだけの人間なのか?