中学時代ファッションが怖かった話と、それを克服できた話

中学時代、ファッションが怖かったし、意図的に着飾ることを避けていた

(眉毛もボーボーだった)

大学生になり、オシャレあるいはファッションが怖くなくなったし楽しめるようになった

(眉毛も整えてる)

今ふり返ってみて、あの時の私に何が起きていたのかを考えてみる

 結論から言うと、私のオシャレへの恐怖感、罪悪感、苦手意識の根底にあったものは

「勝負から降りたい、性的な戦場に参加したくない」という思いだった。

 

こんな経験はないだろうか

安物の腕時計を笑われたり、車やプロレスに詳しくないことでバカにされたりなど……

参加していない勝負、同意していない戦場に引きずり込まれて一方的に敗者の烙印を押し付けられる異常事態

俺はお前らの戦場に興味がない 放っておいてくれ

私は「セックスという戦場」がとてもいやだった

「異性にモテる」という競争に参加したくなかった。

 

例え時計が安物だのと笑われた所で、大人ならなんでもないことだろう

だけど子供にとっては違う。というより、学生にとっては違う

敗者の烙印を押されることは、イジメのターゲットにされかねない事態だ

私は「異性にモテる」という戦場に参加するのもいやだったし、

敗者の烙印を押されてイジメのターゲットになるのもいやだった。

 

なら私はどうしたのか。どう生き延びたのか。

私は白旗を挙げることにしたのだ

 

私は意識的にファッションやオシャレに関わることを避け、

「論外」、「無関係」、「路傍の石」のポジションを確保することに必死だった。

その戦略は成功していたと思う。イジメられてなかったし。

私のまるで手入れされていないモサモサの眉毛は、白旗の役割を果たしていたのだ。

 

中学の頃、レイ〇騒動があった。

いろんな生徒が先生たちに呼び出されたりして、

クラスの中でグループが形成されそれが互いに憎しみあい

非常に雰囲気が悪かった

誰が誰をヤッたのか どういう経緯なのか 誰が悪いのか

私以外みんな知っていた。

私だけ何も知らなかった。

その騒動について話し、グループを形成し、クラス内政治を行うこと、

これ自体がひとつの競争だった。

競争から降りていた私はその騒動から疎外されていた。

私は晴れて路傍の石のポジションを確保できたのだった。

 

大学生になった時、オシャレを楽しむようになった。眉毛も整えた。

(まだまだひよっこだけど)

これは私の人間的な成熟というより、大学という環境もある。

敗者の烙印を押された所で、イジメられたりしない。

私は「自己満足・自己実現のオシャレ」を知ったのだ。

 

結局の所、中学という閉鎖的な環境が悪かったのだろうか?

いや違う。根本的な原因は、

「オシャレとは性的ディスプレイに過ぎない」という私の思い込みだった。

自分が楽しいだけの、自己満足のオシャレもあっていい。

それがやれる環境になって初めて気づいた。

他のみんなは最初から知っていたのだろうか?